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出来たばかりの紀勢大内山インターから県道を南へ走ると国道260号線にあたるカモ。
棚橋隧道のある区間はバイパスが出来て非情に便利になったカモ。
でも、その延伸工事のために南伊勢町側からは旧道に入れなかったカモ・・・。
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でも大紀町側からは入れるから、隧道に行くだけなら問題無いカモ。
しかしこの看板が無ければ、ここから入るなんて分からないカモ。
でも12m以下の車って、相当大きいけど絶対に入れない道カモ・・・。
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三重県名物のおにぎりシールが貼ってあったカモ。
これが貼ってあっても一般人なら国道と信じないかもしれないけどカモ。
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そして棚橋隧道に着いたカモー!!!
「頭上注意 地上高4.0m」って幅の方が危ないと思うカモ。
このトンネルはなんと1893年に掘られたものらしいカモ。
このあたりは林業が盛んだから木材運送用に高く掘られたと推測されるカモ。
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内部は外側より一回り広くて・・・不気味だったカモ。
ひょっとして、これが本来の大きさで出入口は後世になって固められたものカモ?
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さて、棚橋隧道を後にして一気に南へ来たカモ。
尾鷲市街地や尾鷲熊野道路のインターも越えて少し行くと立派な橋があるカモ。
その手前に目的の旧道があるんだカモ!
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この道は昭和10年頃から昭和43年まで現役の国道として使われてたんだカモ。
当時の交通手段はこの道だけで、国鉄バスも走ってたんだカモ。
ちなみに、明治12年に造られた更に旧道も存在してたんだカモ・・・。
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旧道に入って少し行くと立派な開通記念碑があったカモ!
この道の開通がどれだけ悲願なものだったか示す数少ない証人カモ。
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そしてこの旧道の醍醐味と言えば立派な手掘りのトンネルなんだカモ!
深い切り通しの向こうに覗く、その無頼漢な姿は現代のくぱぁ〜には無い魅力カモ。
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そんなトンネルがいくつか現存してるのがこの旧道なんだカモ。
前回来た時は崩れてなかったこの右側が崩れてたカモ。
でも落石が撤去されてるってことは、旧道と言えどもまだ生きてる道だってことカモ!
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そんなトンネルの壁には碍子のようなものがあったカモ
これも含めて一種の遺産と言えるかもしれないカモ。
ちなみに峠付近には携帯電話やNHKの電波塔があって、それでこの道は使われてるカモ。
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最後のトンネルはかなり立派だったカモ!
でも今までのトンネルの中で一番路面状況が悪かったカモ・・・。
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そのトンネル抜けた所が分岐になってるカモ。
ここが今までの昭和新道と最初に作られた明治新道との合流点なんだカモ。
ちなみにここらで最も古いのは熊野古道の八鬼山峠で、1000年以上前の道なんだカモ!
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現国道とさっきの分岐までと同じくらいの距離を行けば遂に矢ノ川峠に到着カモ!
ここには峠の茶屋もあって、往時は風情があったそうカモ。
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峠からの眺めは絶景カモ!ここからは数年に1回ほど富士山が見えるんだカモ。
それが撮影された当時はここが最も遠い富士山が見える場所だったカモ。
さて、今から峠の反対側に行ってみるカモ。と言っても徒歩で、だけどカモ。
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矢ノ川峠から熊野側はトンネルとかは無いけど、既に放棄されたカモ。
おかげで日本最多雨量に晒されて崖崩れは頻発。とても車は通れないカモ。
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ここがバスも通った道だったなんてとても信じられないカモ。
かつての賑わいも虚しく、こうして人々の記憶から消え去ってしまう運命にある道なんだカモ。
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かろうじて残る、しかし力尽きた標識は正に朽ちた墓標カモ。
この名残もいつか近い未来に石に埋まってしまう運命なのカモ。
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徒歩だし、先を急ぐと廃車があったカモ!
平成13年の車検ステッカーがあったカモ。
てことは、10年くらい前ならここまで軽でも来れたってことカモ!
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そして行き着いたのは橋の崩落地点カモ。
熊野側が放棄されたのはこれが原因かもしれないカモ。
ちなみにこの崩落橋の横には、どっかの馬鹿(褒め言葉)が迂回路を造ったんだカモ。
だから物好きはこうして徒歩や自転車で矢ノ川峠を制覇することが出来るんだカモ。
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その橋の手前には水準点があったカモ。
今の地形図には載ってないから、これも棄てられたということカモ。
でも、これもこの道が主要道であったことの証人なんだカモ・・・。
こんな感じで今回の酷道探検は終了カモ。
実は日本初だった索道跡は見つからなかったけどカモ。
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しかし今日は風が強かったカモ。
この区間で雨で止まることはよくあるけど、風で止まるなんて珍しいカモ。
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