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三行でわかる「松尾鉱山」
・うはwww硫黄いっぱいwww山奥だけど掘りまくれば大金持ちじゃね?うぇうぇ(明治の終わり頃
・投資もいっぱいして日本で最先端のコンクリマンションも造ったお!(高度成長期直前
・あれ?コンビナートの石油精製時の副産物で激安硫黄が出来るの?・・・とーさーん(1969年
不真面目に書けばこんな感じカモ。
正確には違う点もあるけど、まぁご愛敬ってことでカモ。
というワケで山の上にも関わらず最盛期は1万数千人が暮らしたカモ。
現在は山岳観光道路がある・・・っていうか今でも十分に山奥なんだカモ。
そんな場所なので鉱夫の住居は必要だったカモ。
数mの積雪がある過酷な環境なのに、映画館や大衆演芸などの娯楽や医療は麓より充実してたカモ。
「雲上の楽園」と謳われた当時は最先端な建築群だったらしいけど、今は紹介するとおりなんだカモ。
紅葉が美しい八幡平アスピーテラインを走ってると突然こんな看板が出てくるカモ。
「中和施設」というのは今も吹き出す鉱毒を今も中和し続けてるんだカモ。
左の看板にあるように、もちろん廃墟などは危険で立ち入り禁止だから入っちゃ駄目カモ。
え?これからの写真カモ?きっとCGか念写か何かカモ。
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中和施設への看板の道を行くと右手に緑が丘住宅群が見えるカモ。
これだけ大規模な廃墟群が国内にあるなんてとても希カモ。
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その廃墟群の前には湿地帯が広がってるカモ。
ここは鉱毒水は生活排水も流れ込んで水質は正に最悪なんだカモ。
操業中は硫黄の排煙で草木一本も生えてなかったらしいけどカモ・・・。
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道を行くとすぐにあるのが至誠寮という独身寮カモ。
管理職の人が住んでたという話も聞いたカモ。
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外に張り出してる階段はご覧の通りカモ・・・。
激しい風雪に40年以上も晒されてればこうなってしまうカモ。
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中はコンクリがパラパラと落ちてきてるけど今も状態は良かったカモ。
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でも部屋の中の床は抜け、ぼろぼろの畳がかろうじて残ってたカモ。
むしろ、これだけ寒冷の高地だからこそ、畳の残骸も今まで残ってるカモ。
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いくら最先端だからと言ってもトイレと風呂は共同だったカモ。
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窓の向こうに緑が丘のアパート群が見えるカモ。
向こうは主に家族が入居してたらしいカモ。
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窓から外を見ると住宅か何かの基礎が残ってたカモ。
現存する建築群の他に多くの木造住宅があったけど消防の燃焼実験で全て燃やされたカモ。
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どこから種が入ってきたのか・・・こんな所にも逞しく植物は生えてくるカモ。
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地下にはおろらく共同浴場と思われるスペースがあったカモ。
かつてはヤマの暮らしと温かさという賑わいがここにもあったカモ・・・。
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今はもう見ることは無い二層式洗濯機も当時は最先端だったカモ?
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さて、独身寮を後にして緑が丘アパートにやってきたカモ。
ここは「いろはに・・・」と各棟に番号が振られてたカモ。
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これはただの柱じゃなくてダストシュートだったカモ。
そんなものは現代においても見たことないカモ。
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やはり風雪で床がこれだけボロボロになってしまってるカモ。
しかしこの廊下は長いカモ・・・。
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壁も場所によっては完全に崩れてるカモ。
この近代産業遺跡とも言うべき建築群は朽ち果ててゆくだけカモ・・・。
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振り返ると、いつの間にか「は」棟に来てたカモ。
横方向にある棟とは渡り廊下で繋がってるカモ。
しかしずいぶんと同業者が多い廃墟だったカモ・・・。
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ここらの部屋の中はこんな感じになってたカモ。
この部屋で厳しいながらも豊かな暮らしをしていた人々は今はどうしてるカモ・・・。
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斜面に並ぶように立ち並ぶ各棟を縦方向に繋ぐ中央通路があるカモ。
右は売店、左はクリーニング店だったらしいカモ。
この更に上には理髪店や大浴場があったとのことカモ。
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クリーニング店跡の天井には穴が開いて照明のようカモ・・・。
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ちょっと外に出てみたカモ。
外に設置してあった屋根も崩れ落ちてしまってるカモ。
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しばらく行くとひときわ目立つ煙突があるカモ。
これは鉱山の精製施設・・・ではなくて住宅の暖房施設だったカモ。
ここで沸かした蒸気を各棟に送っていた施設だったカモ。
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極寒の生活を支えた炉は恐ろしい雰囲気を漂わせて口を開けていたカモ。
ただ機械類はほとんど見つからなかったけどカモ。
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再びアパートの中に戻ってきたカモ。
この棟はどうやら子供が居る家族が入居していたような作りカモ。
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・・・途中から言葉を失ってしまったカモ。
帰り道に草むらに埋もれた何かを見つけたカモ。
この建築群もいつかは瓦礫の山となってしまうのカモ・・・。
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